ぼくらはみんな生きている

日々感じたことを綴ります

何かのサイン?

こんばんは。三条まなびぷれ~すです。

私は「鈍感さん」なので、あまり人の気持ちに敏感に気づく方ではありません。
気がつかないから、人の変化にも左右されず、必要以上に傷つかないといういいこともあります。

そんな私でも今日は気がついてしまいました。

私のことを特別の呼び方で呼ぶ子がいます。
私はちょっと恥ずかしいのですが、特別の愛称はその子に心を許してもらえている気がして悪い気はしていませんでした。

ところが、今日はなぜか〇〇先生と連呼するのです。
あれ?今日は△△って呼んでくれないのかな?と心の中で思いながら、本人には聞けませんでした。

私は学校の先生ではないので、学校の先生らしいことはあえてしないようにしています。
もちろん学校のルールの中で、学校の先生のサポートをしながら、同じ方向を見て、別の方法で支援しているつもりです。
学校の先生ではない、気軽に話せる大人を意識して、別の役割を果たしているつもりでいたのですが、「先生」というのには何か意味があるのかしら?

少しだけ心に距離を感じてしまいました。
△△(特別な呼び方)は卒業したのかな?
それとも気に入っていた△△を言うに値しない存在と認識されたのかな?

その子の気まぐれであれば、構わないのですが、もし私が何かいつもと違うことをして、学校の先生と同じに分類されてしまったのであれば、それは私の役目を果たせていないというサインなのでしょうね。

あなたからの小さなサインを見逃さないように頑張るね。

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